うにを掴む

掴まない

佐藤可士和は罠を仕掛けている

1.

少し前の話になるが、佐藤可士和が「くら寿司」のリブランディングを行ったというニュースを見た。

リニューアルされたロゴ・マークはひげ文字風の文字で大きく「くら」、その下に欧文で「KURA」と書かれているもので、その前のロゴが「無添 くら寿司」と少し平体がかった素っ気ないゴシック体だったことを思えば、意匠的には非常に進歩したと思える出来だったと思う。

私の観測範囲では、このリニューアルについては賛否両論の意見が見られた。否の意見をいくつか選んで紹介すると、

①「寿司」の文字がないことによって、特に外国人に向けてはどういう店なのかわかりづらいのではないか、という意見。くら寿司自体がグローバル進出を臨むにあたってのリブランディングだったこともあり、逆効果ではないかという見方だろう。

②内装について。各テーブルに置いてあるはずの醤油さしが、机に秘密の扉のように仕込まれた収納にしまわれていて、率直に使いづらそうという意見。そして、

③ロゴの出来栄えについて。ひらがなの「くら」の文字とアルファベットの「KURA」の文字列のセンタリングがずれて見える、という視覚調整的な面での意見。

などがあった。

一応断っておくと、これらの意見は今私が恣意的に抽出しただけなので、代表的な意見であるというわけではない。というかそもそも、内装がどう変わろうがロゴがどう変わろうが、正直くら寿司自体にあまり関心がない。使いやすくなろうが見つけやすくなろうが逆効果で潰れようが、極端な話どうでもいいのであるが。

けれども、特に③のいかにもデザイナーの指摘という感じがする意見──これに関して、色々と鼻持ちならないものを感じたので、今回はそのことについて書く。(デザイナーのこういう「細かいところ見てますマウント」みたいなものが、結構嫌いである。)

2.

このことについて呟いたツイートは恐らくしばらくは現存するので、気になった人は見てみてもいいと思う。

そして、実は私は彼の「間違い」を指摘するつもりは一切ない。というか、彼の言うことは正しい。確かにこのロゴは少しセンタリングがずれて見えるし、カーニングも少しおかしい気がする。そういう意味では視覚調整的にはもっと仕事できる部分があったかもしれない。

しかしそんな風に目を尖らせてみたところで、ある疑問が浮上する。「佐藤可士和がそんなことに気付いてないと思うか?」

3.

断言してもいいが、佐藤はそうした調整が視覚的な違和感をなくすために必要なことくらい絶対に知っている。例え広告代理店あがりで(偏見ですね)多少胡散臭かったとしても(悪口ですね)、彼がプロフェッショナルのトップ・デザイナーであることは疑いようのない事実だし、たとえ佐藤自身がそうした調整の技術に熟練の腕がなかったとしても、いくらでも調整する方法はあったはずだ。

彼が視覚調整を無視した例は他にもある。たとえばユニクロブランディングがそうだった。

注目すべきは、彼が設計した欧文のコーポレート・フォントである。佐藤の事務所、samuraiのウェブサイトに画像が掲載されている。

kashiwasato.com

 

このフォントは一見DIN系の書体のように見えるがそうではなく、オリジナル・フォントである。フォーマットのようなものを作って、そこにかたちを当てはめて各グリフを作っているようだ。

ご存知の方は言わずもがなだが、実際の書体制作のセオリーからすれば、これはちょっとあり得ないことである。書体制作の基本中の基本であるが、たとえばOなどのシルエットが丸い文字の天地をA,Bといった他の文字の天地と同じラインに設定してしまうと、相対的にOが小さく見えてしまう。だから、一部のグリフは少しだけ天地をはみ出させ(オーバーシュート)、サイズがばらついて見えるのを防ぐのである。先ほど触れた視覚調整の一例だ。また、他にも機械的な角丸は若干カクついて見えるため、それを視覚的に補正するなどの作業もある。

いっぽう佐藤の作り方はフォーマットにはめこむだけだから非常に機械的で、そうした細かい調整などには目もくれない。少し注意して見ればわかるが、メインの「UNIQLO」のロゴでさえもQやOなどが他の文字と比べて少し小ぶりに見えるのだ。良識あるデザイナーとしては、これは非常に大きなミスに思えるかもしれない。

4.

けれども、いったい誰がそんなことを気にするのだろうか?

確かに気にしてみれば、視覚的には気持ち悪いかもしれない。けれども、多くの消費者にとってそれはさほど大きな問題ではない。いや、些末な問題ですらない。気付いていない人の方が大多数だろう。仮に気付いたとしても、だから何だと言うのだろう?デザイナーのこだわりや大事にしてきたものが毀損されている気がする?その通り。玄人目には見るに耐えない?そうかもしれない。けれども、多くの消費者はそんなこと気にしない。

この構図は何かに似ている。そう、当のユニクロと消費者の構図である。

ユニクロの服は安い。そして、にも関わらず普通に着れる。ファッションにうるさい人から見れば、それは縫製にも型取りにも大して何のこだわりもない、ダサい服かもしれない。けれども、多くの人にとってはそんなことはどうだっていいのだ。普通に着ることができれば。仮にたまたま普通の消費者が何か粗に気付いたとしても、「まあ、ユニクロだからな」ということでおさまるのである。このように見れば、佐藤のブランディング計画は、ユニクロという企業の特性を非常に批評的なやりかたで切り取っていると言えはしないか。

一見、この仕事はユニクロの価値を貶めているように感じられるかも知れない。 けれども、世間に本質以上に華美に、さも美しく、品質のいいものであるように見せるブランディングという名の「詐術」があふれる中で、そのどれが、これほど「誠実」だと言えようか。

5.

くら寿司の話に戻れば、まあこれも同じ話である。「寿司」を入れなかったことがマーケティング的にどういう影響を及ぼすのかはわからないし、あるいは改悪だったかもしれない。けれども、「くら寿司」という典型的なチェーン店に佐藤が仕事で関わった、と来れば、その純粋なデザイン面だけ見てそうした「デザイナー的目線」でツッコミを入れることは残念ながら「思う壷」なのである。もちろん、視覚的に美麗ではない、といくら言い続けても構わない。しかしそれはわざわざ回転寿司にやって来て散々味に文句をつける「はた迷惑な客」の姿と重なっている。(冷たい視線に晒されることになるだろう。)「あなたはたいへん舌が肥えてらっしゃるようですから、もっと高級なお店に行かれてはいかがですか」というわけだ。皮肉である。よくできていると思う。