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日本のデザインミュージアム構想…備忘録①

 今月号のAXIS(No.205 2020年6月号)がデザイン・ミュージアム特集だったので、このことについて書く。

そもそも日本での具体的なデザイン・ミュージアム設立構想の嚆矢となった出来事は大きく二つあり、これは様々なところで言及されていることだが、第一に2004年に提出された『東京デザインミュージアム構想』。そして2012年に三宅一生青柳正規が発起人となって『国立デザイン美術館をつくる会』を設立したことだ。もっとも、言及だけでいえば三宅はさらに以前の2003年時点で朝日新聞に「つくろうデザインミュージアム」という趣旨のエッセーを寄稿している。以来、ミュージアムの設立は国内でもゆっくりと進んできた議論であった。

近年のNHK Eテレの番組「デザインあ」の人気や、21_21 DESIGN SIGHTの商業的成功を見れば、こうしたデザインミュージアム設立の素地はすでに十分に固まっているように見えるかもしれない。けれども一方で、オリンピック・エンブレムをめぐる一連の問題や、その後もたびたび紛糾する「パクり」論争など、デザインにまつわる理解が深まっているとは言い難い部分も社会には多分に残されている。(デザインについての論争が生まれることはもちろん悪いことではない。問題は議論が議論として蓄積されていかず、なんとなく忘れられてしまい、同じ問題がひたすら堂々巡りする悪い構図が生まれてしまうことにある。)

少し話が脱線する。比較対象としてふさわしいのかどうかはわからないが、例えば昨年話題になったあいちトリエンナーレ「表現の不自由展」の一時閉鎖は、一般市民からの抗議、ひいては誹謗中傷が相次いだことにより発生した。佐野によるエンブレム・デザインのパクり疑惑→自主取り下げもそうした点では似たケースだと思えるのだが、JAGDA(日本グラフィックデザイナー協会)をはじめとする団体のいずれも何の声明も出さず、また多くのデザイナーはこれに対して沈黙を貫いた。一方あいトリの場合、アーティストや様々な連盟が抗議の声や声明を出し、実際展示も最終的には再開された。この二つのケースを並べて見てみて、この両者のちがいは何だろう、と思わずにはいられない。無論、あいトリにおける各アーティストの行動の可否については批判点もあろう。ここでそうした議論に深入りすることはしないが、少なくとも、自発的に議論の場を設け、また起こりうる同様の事態に備えて「あいちプロトコル」のような具体的な文章が自発的に示されたことは、あの限られた状況で有意義な対応だったと言えるはずだ。再び同じような問題が発生したとき、必ず今回のケースは参照されるのだから、歴史的な足がかりをきちんと残したとも言える。しかし、エンブレム問題については前述したとおり、結局議論が流れてしまった形になる。結果、あれはパクリだ、パクリでない、といった非常に表面的な議論が代わり映えもなく今日に至るまで繰り返される状況にある。(こうした問題提起については、JAGDAが今年(2020年)に入って新しく解説したサイトGraphic Design Reviewのなかの室賀清徳による「創立の言葉」にも記されており、非常に的確である。)

端的に言って、日本のデザイン界は──私がグラフィックデザイン領域を専門にしていることから、偏った見識であれば申し訳ないのだが──話し合い、評価し、考え、コミュニケーションするための「言葉」を積み上げる作業をほとんどしてこなかった。もっと正確にいえば、いつしかしなくなってしまった。デザインと名のついたビジネス書や技法書は充実しているかもしれない。けれども特にこうした「揉め事」に関して、メソッドやスキルを超えた倫理や理念の問題に関して、市民に議論の場を開くことや、独自の意見、見識をもつ努力をあまりに欠いてきた感がある。実際、そのしわ寄せのような形で事件が起こり、そうやって何か問題が起きたときには一様に無視する態度で応じた。

横道に逸れ過ぎてしまったが、日本にデザイン・ミュージアムを設立するということは、こうした状況を改めて見据えなければならないということであると思う。それはデザインの評価・歴史・意義・言論──を再考することに他ならない。

ところで、現状、日本でのデザイン・ミュージアム設立を目す団体はいくつかに限られている。その中で、三宅・青柳による提言を背景に発足したのが「Design-DESIGN MUSEUM」であり、近年ではシンポジウムを開催するなど、最も目立った活動をしていると言えるだろう。組織名は「デザインミュージアムをデザインする」と訳せるわけだが、同名の番組を2020年、NHK Eテレで放送した。(代表理事 倉森京子はNHKのディレクターである。)

改めて確認しておくが、私自身はデザインミュージアムの設立はぜひしてほしいと思っている。しかし、現状「Design-DESIGN MUSEUM」で行われている議論は、少し偏った議論になっているのではと感じてもいる。そこで、そもそもの「デザイン・ミュージアム」の歴史とはどんなものなのか?デザインを展示することの意義とは?などなど、私なりに思っていることをここにつらつらと書いていこうと思い立った。(つづく)