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掴まない

日本のデザインミュージアム構想③

前回の更新から少しだけ間隔が空いてしまったのは、本題からかなり逸れる面倒な話をすべきかどうか悩んだからだった。が、ここ最近ミュゼオロジーについての本が立て続けに出版されたことを受け、*1やはり触れておくべきだろうと思った。

前回、ミュージアムという「収蔵施設」──ひいては研究機関についての認識と、市井の人々、そしてデザイナーとの感覚のずれについて語った。ではなぜそうしたずれが生じるのか。私はミュージアムイコール収蔵施設だと断定したけれども、おそらく一般的な認識はそうではない。例えば日本各地になんとかミュージアム、という名前の施設は無数にあるが、ときにそれはテーマパーク的なものだったりして、全てが必ずしも厳密な意味での「ミュージアム」であるわけではないことは周知の通りだろう。

日本では公立の施設はたいてい〜美術館、〜博物館、という名前がつけられていて、現状「ミュージアム」の名を冠したものはない。(もちろん英文表記に”museum”が含まれる場合はある。)原語、「museum」という言葉自体には本来、美術館、博物館といったジャンルの区別はないわけだが、訳語として定着してしまったことからよく言えば分担、悪く言えば無意味な分裂が生じてしまったように思える。つまり「「美術」というのは博物以外のものを扱う、「博物」というのは美術じゃないものを扱う、といったよう」な「二分法」のようなかたちで。*2「デザイン美術館」、「デザイン博物館」ではなく、あくまでも「デザインミュージアム」という名前が求められているのは、デザインという分野が美術と博物、技術と芸術をたがいに架け橋する存在だからに他ならない。どちらか片方の制度だけでは十分にその概念を包摂できないのだ。

けれども、現状このような関係性が共有されていないどころか、「美術館」と「博物館」、そしてカタカナの「ミュージアム」というのは、それぞれ全く異なったものとして考えられている節がないか。なんとかミュージアム、という名前の施設になんとか美術館だとか、なんとか博物館ではなく「ミュージアム」という言葉があてがわれているのは、決してゆえなきことではないと思う。デザインミュージアムの場合「ミュージアム」としたことは一方で博物館と美術館という「二分法」の再統合という思惑があったのかもしれないが、他方で美術館や博物館といったある種古くさい雰囲気がまとわりついた空間ではなく、妙な”しがらみ”なしの第三の領域としての「ミュージアム」が想定されてはいないか。これはあくまで空想の域を出ないが、デザイナーたちが示すミュージアムの企画や、その方向性を見ているとそんな思いが頭をよぎる。

デザインミュージアムをめぐる会議では、いろいろなアイデアが飛び交った。新しいミュージアム像、定義、枠組み、考え方…どれも必要な思考ではあるが、新しい概念や言葉の創出にいそしむより前に、既存の言葉や制度の意味をなぞりなおし、その意味のすりあわせから地道にはじめるべきではないか。*3

 

現実的な案として。それではデザインミュージアムを成立させるためにはどうすればいいのだろうか。前回紹介した「メガ・ミュージアム」たちは華々しい。けれども例えば災害が頻発する日本という土地に限っては、そうした巨大施設をドドンと1つ建設することが果たして良い判断なのかどうかは一考の余地があるだろう。例えば、前回も少し例に挙げた川崎市市民ミュージアムは2019年の豪雨によって地下の収蔵庫が浸水し、コレクションに甚大な被害を受けた。今後も様々な災害によって、なんらかの形で収蔵品が被災することは十分考えられるし、そうした際に全ての収蔵品を一箇所にまとめおくのはリスクが高いとも考えられる。また、予算的な面においても巨大な施設の建設には大量の工費がかかることは明らかである。こうした状況で、美術館を成立させるには、例えば小さな施設を日本各地に建設し、ばらばらに置く、という構想がある。こうしておけば作品の輸送費は都度かかるが、収蔵品のどれもが一斉に被害をこうむるということはないわけだし、消失のリスクは少なく抑えられる。また、更に前段階として、個人のアーカイヴ、各地のミュージアム施設がすでに所有しているコレクションなどをネットワーク的に共有するという案もある。(各施設ごとにデータベースを公開している場合はあれど、それら全てを包括的にデータベース化したものは現状存在しないので。)個人的にはこうした草の根的なネットワークを充実させてゆくことが現実的な案だと思う。一方で、この案では展示、教育といった段階まで進めることが難しそうなのがネックと言えそうだが、こうしたインフラが確保されることによって一般の美術館・博物館施設の研究者がアクセスしやすくなるとすれば、そこに希望を懸けてもよいのかもしれない。

こうした動きは民間団体や、各大学施設などで着々と進みつつある印象だが、そもそもデザイン専門の研究者が乏しいこと、また大学にもデザイン史などに相当する科目やコースが少ないことから、残念ながら急速にも進まないだろう。

*1:『ラディカル・ミュゼオロジー』クレア・ビショップ、月曜社 『美術展の不都合な真実古賀太、新潮社

*2:保坂健二郎発言 https://note.com/designmuseum/n/n96ae32513b62

*3:いわゆる近年の「クリエイティブ」な世界には、言葉の意味をすり替えたり、表面的な言葉だけを取り替えることによって新たな価値が生まれたかのように偽装する術が蔓延していると思う。